台湾現代史の闇を描き、スター大挙出演のサスペンス大作が、現地・台湾で大批判を浴びている理由
2025年5月31日(土)12時10分 文春オンライン
〈 台湾トップ・ミュージシャンも出演した豪華キャストのオムニバス・ストーリー【日本初上映『タイペイ、アイラブユー』】 〉から続く
リム・カーワイ監督をキュレーターに迎え、日本未公開の台湾映画を上映する「台湾文化センター 台湾映画上映会」。その第2回が5月25日、慶應義塾大学三田キャンパス西校舎ホール(東京・港区)で開かれた。台湾現代史の闇を描いたミステリー・サスペンス大作に会場の観客は身じろぎもせずにスクリーンを見つめていた。( #1を読む )
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この日上映されたのは、『ひとつの太陽』『瀑布』などで知られるチョン・モンホン監督の最新作、『余燼(よじん)』。上映後のトークイベントには赤松美和子氏(台湾文学研究者・日本大学文理学部教授)、本作で日本語字幕を担当した吉川龍生氏(慶應義塾大学経済学部教授)、リム・カーワイ監督が登壇。日本でもファンの多い本作のチョン・モンホン監督はオンライン参加の可能性が予告されていたが、都合が合わずに欠席となった。

『余燼』
2006年、台北の市場で白昼、男が刺殺される事件が発生。警察官の張(チャン・チェン)が捜査を開始すると、他にも不審死・失踪など不可解な事件がいくつも発生していることが明らかとなっていく。一連の事件につながりはあるのか。いまなお社会に燻り続ける「白色テロ」の悲劇と、壮大な復讐計画とが、過去と現在を交錯させながら描かれていく。
2024年/162分/台湾/原題:餘燼/英題:The Embers
監督・脚本:チョン・モンホン/出演:チャン・チェン、モー・ズーイー、ティファニー・シュー、チン・シーチェ、リウ・グァンティン、チャン・イーウェン、マー・ジーシアン、チャン・ジーヨン/©本地風光電影
主演は『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』のチャン・チェン
【まず、赤松教授が本作のテーマである白色テロと制作の背景について解説した。】
赤松美和子(以下、赤松) まず、出演している俳優がとても豪華でびっくりしましたが、白色テロの台湾映画といえば、皆さんエドワード・ヤンの『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を思い出されると思います。あの映画で14歳だったチャン・チェンが今回主役を演じているというのに感じ入りました。
白色テロとは、中国語では「白色恐怖」と書きますが、国家権力が反対勢力に対して行う弾圧のことを言います。なぜ白色なのかというと、フランス革命の時、王室のシンボルが白ゆりだったので、その王室を擁護する右派が革命を推進する左派を弾圧したことから白色テロと言われるようになりました。
【台湾の白色テロは一般に1949年から91年までと言われて、政治犯として告発された数千人が処刑されたという。1950年から60年代が最もひどく、性別や年齢、本省人、外省人、先住民といったエスニシティとは関係なく、法律に依拠しない逮捕や投獄、殺害が行われた。】
赤松 この映画が2024年に公開されたというのは大きな意味があると思います。台湾では2016年から2024年が蔡英文政権でしたけれども、その間の2017年に「移行期正義促進条例」が施行されて、それが映画に反映されていたと思います。「移行期正義」とは、民主主義体制に移行した政権が、過去の大規模な人権殺害や虐殺について真相を明らかにし、被害者には保障を与え、被害者と加害者が和解して社会の再建を図るということです。
【本作では、白色テロによって父親を殺され、人生を狂わされた男が当時の関係者を捜し出して復讐していく。国家は何もしてくれないと、自ら手を下す「私刑」に走るのだ。】
SNSで広がった批判
赤松 この映画について台湾の友人に感想を聞くと、実はあまり評判が良くないんです。それは、かつて政治犯として告発された人やその家族は、いろんな複雑な思いを抱えながらも生きてきた。なのに、このようにフィクションで簡単に制裁を加えてしまう、復讐するということがショックだという感想が多かったんです。
チョン・モンホン監督自身は、自分は白色テロの当事者ではないと明言されているわけですが、この映画では加害者側も描こうとした。それは現在の台湾社会への信頼があってのことだと思いますが、結果的には色んな批判を受けている。
吉川龍生(以下、吉川) 私も台湾で、現地の若い知り合いと一緒にこの映画を観たのですが、彼らは実はあまり観る気はしなかったと言っていました。それはSNSで評判が悪かったせいで、でも終わった後には観て良かったとも言っていました。日本人が観ると娯楽作品としてすごく面白く感じるのではないかとも思いますが、やはり台湾の人が見た時にいろんな感想が出てくるのでしょう。フィクションという手段を使って、この問題をオープンな議論にして乗り越えていけるのではないかと監督は考えたのではないかと思います。
【不可解な連続殺人、何者かに拉致された老人、数多くの登場人物たち……幾重にも伏線が張り巡らされたサスペンス大作であり、娯楽作品として大いに楽しめるが、台湾での興行成績は良いものではなかったという。】
リム・カーワイ(以下、リム) 僕は、チョン・モンホンの映画が大好きなんですが、彼の映画はまだ日本で一般公開されていないんですね。『余燼』は台湾を代表するスターがたくさん出ているオールスター映画で、製作費も破格の1億台湾ドル超の大作です。
彼の映画は近作の『ひとつの太陽』『瀑布』などはヒューマニズムの映画ですし、それ以前はアクションやホラーなどのジャンル映画の形を踏まえて、人間の面白さを撮ってきたと思いますが、今まで政治のことは語ってこなかった。今回は白色テロをテーマとして今までと違うわけですけれど、スタイルはやっぱりエンターテイメントあるいはジャンル映画です。とても面白いサスペンス映画だと思いますが、先ほどお話があったようにネットで強い批判がされていますね。
台湾はまだ白色テロの渦中にある
赤松 台湾社会はまだ白色テロの渦中にあって、タイトルにある「余燼」のように燃え尽きていないということだと思います。たとえば白色テロの記録は、まだ全てが公開されているわけではありませんが、すでに公開されている中から、大学の先生や一緒に授業を受けていた仲間の中にも実は当局のスパイがいたというようなことがどんどん明らかになってきています。それが明らかになると人間関係にヒビが入ってしまう。監督はフィクションの形なら対話できる段階になっていると思って今回の作品に挑まれたと思うんですけれども、社会はまだその段階に至っていなかった。
リム 加害者をきちんと批判していないとか、なぜ被害者をサイコパスのような復讐者にしてしまったのかと批判されています。SNSなどでは若者の正義感から許せないのではないかと思います。赤松先生も言うように、台湾人にとってはこれはまだ整理できてない問題で、若い人から観ると登場人物の立ち位置に違和感を持ってしまうのでしょう。
赤松 まさに現在進行形の話なんですね。2024年には移行期正義政策の中で5月19日が白色テロ記念日と定められたんです。しかし今は野党が国会の過半数を占めている状態で、その記念日も今月なくなってしまいました。
政治的なテーマにも果敢に挑む姿勢
【最後に台湾映画の魅力について赤松・吉川両氏はこう語った。】
赤松 私は台湾文学の研究者で、今年『台湾文学の中心にあるもの』という本を出しました。その中で、台湾文学の中心にあるものは政治であるという風に書いたんですけれども、それは映画にも言えるんじゃないかなと思います。政治を含めて社会の今を作品に表していく果敢な姿勢が、台湾映画の魅力の1つではないかと思います。
吉川 娯楽作品としてもよくできていますし、こういった政治的なメッセージにも逃げずにチャレンジしていく。私は『返校』がとても好きなんですけど、あの映画でもホラー的な、ゲーム的な異世界に、白色テロを絡めていました。そんな作品があらわれてくるのが非常に魅力的だと思いますので、『余燼』もぜひ日本で広く観られるようになってほしいと思います。
(週刊文春CINEMAオンライン編集部/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)